【”いただきます”と縄文人】

最近、いやここ数年「縄文時代」にハマっています。
あちこちの資料館や遺跡、博物館に出没します(笑)
そう言うと「土偶ジョシ?」など聞かれます。
もちろん土偶も好きだけど、漆(ウルシ)や石、縄の文化にも興味があるし、
何より、そこから浮かび上がってくる、彼らの「考えかた」に思いを巡らすのが
大好きなのです。

全然アートと関係ない?
いえいえ、そんなことはありません。
だって、アートは「嬉しい!」「楽しい♪」や
「悲しいよ…」「どうしてこんなことに!!」という、どうしようもない
心の動きを表現するもの。
その点、縄文人たちは、この上なく感覚の研ぎ澄まされた表現者であり、
アーティストだと思っています。
という訳で、今回はしばし、1万年のタイムトリップにお付き合いください。

先日、東京国立博物館 特別展「縄文 JOMON」~一万年の美の鼓動~に
行ってきました。

おなじみの火焔型土器や遮光器土偶にミミズク土偶など、
まさにオールスター勢ぞろいの圧巻の、紅白歌合戦みたいな展覧会でした。

でも、そこで私がとても気になったのが…

縄文のヴィーナスでもなく縄文の女神でもなく
(とても素晴らしかったけど!)

小さな、「耳・鼻・口形土製品」。

岩手県北上市、八天遺跡から出土した、実物大の、素焼きでできた顔のパーツ。

なぜ気になったのかというと、とても「リアル」だから。
縄文式の土器や土偶というと、空間を埋め尽くすようなダイナミックな装飾性、
伸びやかであっけらかんとしたデフォルメのイメージ。
それが見事にひっくり返されました。

特に「耳」は、とても作り物とは思えないほど精巧に表現されています。
これ…義足ならぬ義耳なのでは、という仮説を立てたくなるほど。

リアルと言えば、素焼のキノコも素晴らしい。
本物そっくりに作る食品サンプルの原点をこの時代に見た気がしました。

他にも、現代的でモダンな「注口土器」(茨城県椎塚貝塚より出土)は
とても機能的でおしゃれ。
陶器市で売っていたら、私も買いたいくらい。

大事そうに子を抱く土偶や、子どもの手形足形を押し付けた陶器板、
土器を持って「どう?私の壺の出来は」とでも言いたげに
誇らしく腰に手を当てる土偶…
作った人の声が聞こえてきそうに活き活きしている。

自然への畏怖と祈りの一方で、冷静で旺盛な観察力。
うねりが渦巻くダイナミックさと、滑らかに磨き上げる繊細さ、造形力。
左右対称でない奔放さ、多様性。
何でしょうか、この振り幅は…。

「縄文」の世界に触れていると、
大きな懐に抱かれているような安心感と受容を感じてしまいます。

チケットを求める人の数もさることながら、(私も含めて)こんなにも今
縄文に魅かれている人が多いということは、裏を返せば
現在の平成の世が、あまりにも閉塞的な時代だということかもしれません。

でも、縄文の生き方、魂は私たちの中にちゃんと息づいている。
例えば、ごはんを食べる前の「いただきます」「ごちそうさま」のことば。

縄文文化を色濃く残すといわれる、アイヌの人たちは、野山で狩りや採集を
する時には必ず、神様にお伺いを立てるそうです。
余分は取らず、次世代や若い芽は山に返す。

「今日生きる分だけ、分けていただきます」

弥生時代以降、大規模な稲作が行われてからも、山や海の神様との交流は続き、
様々な祭りとなって現在に伝わって…
むしろ、現在に続く単調な日常生活の「ケ」の日々で、私たちの中の失われゆく
縄文的な生命エネルギーが出口を求めて「ハレ」としてほとばしるのが
”祭り”なのでしょう。

その一端としての感覚が、まだかろうじて生活に根付いています。
普段「いただきます」「ごちそうさま」を言わない人は、ぜひ口に出して
言ってみてください。
食事は、一番小さな「祭り」です。

…さて、好き勝手、思いつくままに縄文への想いをつづってしまいました(^^;)
小さな頃、祖母の北海道土産のアイヌの木彫りの置物を見てから、ずっと
気になっていた郷愁のような想いが、めぐりめぐって再び火がついて
縄文人ややまとことばへの関心につながっているようです。

最後に。

「千と千尋の神隠し」にもありましたが、私たちは土地の物を食べ、
土を触り、水と火の感覚を味わうことで「生きている」のではないでしょうか。
工場で「大量生産」されたものだけでは、そんな力は湧いてこないはず。

自分の中のエネルギーが涸れそうなら、地の食べ物から「いただきます」。
時には星空を見たり、太古の世界を想像することも、生きるエネルギーになるし、
ぽかんと心を空っぽにして空を見たり、じっとするのも、いのちの充電になります。

学校で、会社で、家族や人間関係で
もし悩んだり迷ったりしたときは、
他の人のようにならなくていい、生きているだけで意味がある、
いのちとしての自分をとりもどしてあげてください。